落語用語の基礎知識
落語は古い言葉、今は使われなくなった言葉がたくさん出てきます。それを独断と偏見、
米二流解釈で解説してみました。ですから決して世間で通用するものではありません。
参考文献

 牧村史陽編「大阪ことば事典」講談社学術文庫
 前田勇編「上方語源辞典」東京堂出版
 井之口有一・堀井令以知編「京ことば辞典」東京堂出版

あ〜お / か〜こ / さ〜そ / た〜と /  な〜の /  は〜ほ /  ま〜も /  や〜ん / 
三十石
☆ 「三十石舟」‥‥大坂天満橋・八軒家と京伏見の間の淀川を上り下りした乗合船。全長は約17メートル。(京阪や阪急電車の1両が約18メートル)諸説あるが定員28名で船頭が4〜6名。昼舟、夜舟とあった。上りは船頭が船から下りて曳いて上がった。したがって船賃も上りは下りの倍ほどした。明治になって蒸気船が就航したが、鉄道開通でとうとう終焉を迎えた。

☆ 「伏見人形」‥‥土人形のふるさとと言われ、日本全国の土人形、郷土玩具の原型となった。古くから深草では良質の土を産出し土器が作られ、ここから人形作りへ発展していった。文化文政時代は伏見稲荷参拝客等で賑い50軒も窯元があったが、明治維新後、交通機関が三十石舟から鉄道へ移ったこともあり衰退してきた。現在、窯元は1軒しかない。

☆ 「幻妻(ゲンサイ)」‥‥人の女房を卑しめて言う言葉。ここの場合は女郎のこと。

☆ 「川堀(カワボリ)」‥‥船頭が客から集めた銭を川堀の冥加銭として渡す。川堀とは川底にたまった土砂を採る人足のこと。

☆ 「バリ」‥‥ゆばり、小便のこと。

三枚起請
☆ 「起請」‥‥平たく言えば契約書。昔の武士の世界でも起請はあったが、ここでは結婚の約束。神仏に誓って取り交わし、約束を破ると罰が当たると昔の人は真剣に信じていた。この心構えで起請誓詞を取り交わす習慣を政治家の皆さんやどこかの建築屋さんにお勧めしたい。

☆ 「仕替えを取る」‥‥芸娼妓が働く場所を替えること。これをするたびに年期が延びる。動詞で「仕替える」とはあまり言わなかったらしい。

☆ 「けんびき」‥‥後頭部から肩へかけての筋肉(僧帽筋)の意。またその痛み、凝りのことも言う。この痛みが頭まで上がると、脳溢血などを引き起こして一命にもかかわると考えられていた。「けんびきが肩を越す」というのはこのような状態。

☆ 「初会」‥‥お客と女郎が初めて相方となること。二度目を「裏を返す」と言い、三度目でようやく「馴染」になる。

☆ 「お燈明に丁子が乗る」‥‥神仏に供えるお燈明の燈芯の先端が固まって、丁子の実のように見えると縁起が良いという迷信。丁子の実は、気の利いたお店でウィスキーのお湯割りを注文すると付いてくる。「香りがいいのよ」とその店のママは言うが、私は鼻が悪いのでよく分からない。

☆ 「反故(ホウグ)」‥‥ホウゴ、ホグとも言った。文字などを書いた紙で用のなくなったもの。今なら捨ててしまうところだが、昔はうまく再利用した。その心がけを受け継いで、私は落語会のチラシの古いものはアンケートに再利用している。by エコマーク米二

鹿政談
☆ 「曲尺(カネジャク)」‥‥大工、建具職人などが用いる直角に曲がった金属製の物差し。またこの物差しが用いている尺の単位もさす。一尺は30.3cmで鯨尺の八寸に当たる。

☆ 「鯨尺(クジラジャク)」‥‥和裁用の物差し。またこの単位もさす。一尺は37.88cmで曲尺の一尺二寸五分。曲尺と共に明治時代に制定された尺貫法で法定単位として認められていたが、昭和33年、尺貫法の廃止に伴い、一時は物差しを作ることも禁じられていた。

☆ 「忠臣蔵六段目」‥‥ご存じ「仮名手本忠臣蔵」の六つ目、早野勘平切腹の場。勘平は自分が舅、与市兵衛を殺したと思い込み(実は間違いで殺したのは悪人の定九郎。定九郎が与市兵衛を殺した)切腹をする。手負いになって猪を撃つつもりが間違って人を殺したと説明するが、その中に出てくるセリフを落語「鹿政談」がパクったということである。

持参金
☆ 「三日(サンジツ)」‥‥江戸時代、毎月の式日で1日・15日・28日。大名、旗本は麻裃で登城した。

☆ 「節季」‥‥要するに決算の時期のことだが、商売人同士の取引と一般の小売とは違っている。商売人同士の場合は元々年に二度節季で盆と暮だけだった。その後、春秋に中払いというのができて四度節季になった。小売の場合はだいたい毎月月末ごとの支払い。これを過ぎると次の月末まで待ってくれた。大晦日だけは別で「どないしても持って帰る」ときつく催促された。そこのところは落語「掛け取り」をお聴きください。

☆ 「酸い酒」‥‥酒の発酵が進み過ぎると酢になるそうだ。酸っぱい酒ができあがる。この場合は安物の酒の意味。二級酒というところか。おっと二級酒みたいな等級ができたのは戦時中でしたな。

☆ 「奉公人」‥‥丁稚を扱った落語にはこんなセリフがある。「奉公とはキミにたてまつると書くのじゃ」と。したがって今の従業員という感覚とはかなり異なる。男が商家に奉公する場合、小学校を出てすぐに丁稚になる。その後、年数を経て手代、番頭と出世する。そのほとんどが住み込みであった。丁稚は無給。商いの道を教えてもらうので当然なのだ。今でも噺家の弟子はこれに近い。噺家は時代遅れ?

☆ 「宿下がり(ヤドサガリ)」‥‥奉公人が暇をもらって親元、または請け人のところへ帰ること。

始末の極意
☆ 「始末」‥‥無駄遣いしないこと。倹約すること。ケチというより体裁がよい。別儀ではカタをつけるとか、処理するとか物騒な意味でも使う。その筋のお兄さんから怖い顔で「お前を始末する」と言われたら、「倹約しましょう」という意味ではないので注意が必要。

☆ 「梅干の天神さん」‥‥私は食べたことがなかった。「始末の極意」をやるについて初めて食べてみた。第一、梅の種って硬いからなかなか割れない。出刃包丁でやっと割れた。胚芽というのか仁というのか知らんけど、この部分が天神さん。ここは青酸が含まれているので食べては行けないという言い伝えもあるそう。けど、ちょっとおいしかった。何故、天神さんと呼ぶのか? 今度、調べときます。

☆ 「住吉大社」‥‥大阪市住吉区にある神社。第一本宮から第四本宮まで四棟ある。順に底筒男命(ソコツツノオノミコト)・中筒(ナカツツ)男命・表筒(ウワツツ)男命・神功皇后をまつっている。これが四社の社。その昔、この辺りは海岸で元々は公開安全を祈願する海の神社であった。落語とは馴染みが深く、太鼓橋(反り橋)はあまりにも有名。

崇徳院
☆ 「手伝い(テッタイ)」‥‥手伝い職。大家に出入りする職人。大工でもなく左官でもなく植木屋でもないが、なんでもできる人。便利屋というところか。上方落語に出てくる手伝いは熊五郎か又兵衛という名前に決まっている。今の女性のお手伝いさんとは違う。

☆ 「本家(ホンケ)、母屋(オモヤ)」‥‥上のような手伝い職が何軒も出入りしている中で一番頼りにしている出入り先を本家、あるいは母屋と呼んだ。「本家」はあるが「元祖」はない。

☆ 「崇徳院(ストクイン)」‥‥崇徳天皇は第75代の天皇。1123年に即位、と広辞苑にあるが、そんなことはどうでもよい。百人一首の「瀬を早み…」の作者である。

☆ 「鍾馗(ショウキ)」‥‥唐の玄宗皇帝が病気のとき、夢枕に立って鬼を退治した。目が覚めると病気が治っていたという。以後、守り神として崇めた。ひげ面の大男。

☆ 「緋塩瀬の茶袱紗(ヒシオゼノチャブクサ)」‥‥塩瀬は羽二重風厚地の織物。これの緋色、明るい朱色をした茶の湯に使う袱紗……といったところか。

住吉駕籠
☆ 「住吉大社」‥‥大阪市住吉区にある神社。底筒男命(ソコツツノオノミコト)・中筒(ナカツツ)男命・表筒(ウワツツ)男命・神功皇后をまつる。その昔、この辺りは海岸で元々は公開安全を祈願する海の神社であった。落語とは馴染みが深く、太鼓橋(反り橋)はあまりにも有名。

☆ 「闇」‥‥旧暦は月の満ち欠けに連動するので晦日は月が出ない新月であった。つまり闇夜である。

☆ 「月夜に釜を抜かれる」‥‥月の明るい夜に釜を盗まれる。油断をして失敗することの例え。

☆ 「なぶる」‥‥おちょくるとも言いますね。からかうこと。

☆ 「ジキ」‥‥堂島の米相場師の通称。「日本の米の値段はわしが決める」というような豪快な人が多かった。兄貴などのように親父に貴を付けて「オヤジキ」、この上が省略されて「ジキ」になった説が有力。

千両みかん
☆ 「土用」‥‥立夏・立秋・立冬・立春の前の十八日間の称。立秋の前の土用を夏の土用と言うが、一般的に土用と言えばこれを指す。この土用の丑の日には鰻を食べる習慣が定着したが、ちなみにこの土用の丑の日と鰻丼付き落語会「かねよ寄席」の開催日(毎月最終月曜)が重なると「かねよ寄席」の方が変更になる。商売の邪魔をしたらあきませんもの。失礼、「千両みかん」とはなんの関係もないことでした。なお、この噺は江戸時代なので、土用なのに6月と言っている。これは旧暦であることにご注意。また夏休みのことを古くは土用休みと言ったらしい。今の学校、土曜はずっと休み…。(そら、どようが違いますがな)

☆ 「天満青物市場」‥‥天満橋北詰から天神橋北詰の大川沿いに昭和初期まであった。大阪中央卸売市場ができるまで、各地から青果物が集荷され賑わった。また、その西側には乾物問屋がたくさん並ぶ「市の側」があった。桂米朝夫人、中川絹子さんはここで生まれたお嬢さんである。その半生を綴った本が淡交社から「なにわ華がたり・桂米朝と一門をささえた半生記」として出版されている。なお、野菜を青物と言うのに対して、果物を赤物(アカモン)と言った。

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