落語用語の基礎知識
落語は古い言葉、今は使われなくなった言葉がたくさん出てきます。それを独断と偏見、
米二流解釈で解説してみました。ですから決して世間で通用するものではありません。
参考文献

 牧村史陽編「大阪ことば事典」講談社学術文庫
 前田勇編「上方語源辞典」東京堂出版
 井之口有一・堀井令以知編「京ことば辞典」東京堂出版

あ〜お / か〜こ / さ〜そ / た〜と /  な〜の /  は〜ほ /  ま〜も /  や〜ん / 
厄払い
★ 「厄払い」‥‥節分、年越しの夜に各家々を回り、厄難を逃れるようにおめでたい文句を唱えてご祝儀をもらうこと。またその人のこと。中に出てくる東方朔、三浦の大助はいずれも長命であったと伝えられる。

★ 「よばす」‥‥麦や豆などを水につけて柔らかくすること。

宿替え
★ 「宿替え」‥‥引越のこと。手元の新明解国語辞典には「転居の意の老人語」としてある。年寄りの言葉だったのだ。知らなかった。でも、関西では普通に使っていたはず。関西が本拠の「アート引越センター」や「さかい引越センター」が「宿替えセンター」と改名してくれると嬉しいのだが…。

★ 「ぼて」‥‥籠に紙を貼ったもの。はりぼての略。ぼて屋という店はもっといろんな物を扱った。ぼて屋の女子衆が出てくる噺がある。これは別嬪と決まっているが、厚化粧なのであまり評判は良くない。

★ 「金神さん」‥‥陰陽道で方位の神として畏れられた神さま。金神七殺と言って、金神の遊行する方位を犯して土木、移転、嫁取りなどをすると家族七人に祟って殺されるという。家族が七人に満たない場合は隣人にまで及ぶ。「宿替え」でも見事に隣人が被害に遭っている。

宿屋仇
★ 「フンしのええメンタ」‥‥糞の躾のよいメス。これはまあ、ペットのことですねえ。

★ 「小柳彦九郎」‥‥色事の話に出てくる武士の名前だが、芝居にも関係がある。近松門左衛門の「堀川波鼓(ホリカワナミノツヅミ)」という芝居に落語と同趣向で出てくる。というより、落語の方がパクッているのである。こちらでは小倉彦九郎という名前になっている。この芝居、私は中村鴈治郎(もうすぐ坂田藤十郎)さんの近松座公演で見た。テレビ放送でしたが……。

★ 「南地五花街」‥‥ミナミの遊郭、宗右衛門町、櫓町、坂町、難波新地、九郎右衛門町の五つ。故香川登枝緒先生(我々の世代の方はご存じと思うが「てなもんや三度笠」の作者である)にこのことを質問したことがある。香川先生という方は本当に気さくな方で、当時20代の我々の質問にも丁寧に答えてくださったし、アドバイスもしていただいた。何より若手の落語を聴きに小さな落語会にまで足を運んでおられた。ここらが最近えらそうに教授、先生と呼ばれている評論家諸氏と大きく違うところである。香川先生は質問に対して分からない時はちゃんと覚えておられて、次に会った時に「調べたらこうやった」と必ずご教示いただいた。南地五花街だけは「調べとくわ」とおっしゃって、それきり会えぬまま病気でお亡くなりになった。この答は牧村史陽編「大阪ことば事典」に載っていた。

★ 「正巳の刻(ショウミコク)」‥‥昔の時の数え方は「時うどん」でお馴染みの「九つ、八つ、……四つ」という数え方の他に干支も使った。子の刻が午前0時。あとは2時間ごとに丑、寅、卯の順。正巳の刻は午前10時ジャストになる。この2時間後が正午の刻、つまり今も使っている正午です。

宿屋町
☆ 「四方天但馬守(シホウテンタジマノカミ)」‥‥実録では四方天、「絵本太功記」など芝居では四王天となっている。明智光秀(実録では明智、芝居では武智。ああややこし…)の家来である。光秀に謀反を勧め、加藤清正と組討ちしたとされている。俗説でこんな話がある。四方天が馬上の秀吉に立ち向かい、落馬した秀吉に馬乗りになった。両手がふさがっているので脇差を口にくわえたが、歯が弱くて刀が落ちてしまった。その隙に逆に秀吉から取り押さえられた。「この歯さえ弱くなければ」と歯ぎしりすると歯がぽろぽろとこぼれ落ちた。それを見た村人は四方天が死んだ場所に、歯の形をした石を置いて供養した。のちにこの石は歯神さんと呼ばれるようになったという。それだけの話なんですがね、歯が悪い私はなんか他人事(ヒトゴト)とは思えないんです。

☆ 「脚絆(キャハン)」‥‥旅や作業する時、足を保護し、動きやすくするため臑(スネ)にまとう布。…と辞書にあった。保護するというのはわかるが、決して動きやすいとは思わない。昔、芝居に出た時、次郎長や忠臣蔵の討ち入りで手甲脚絆をつけたが、邪魔くさいわ、締め上げるので動きにくいわ……。昔の人を尊敬します。

四人ぐせ
☆ 「四人ぐせ」‥‥うちの国宝のCD全集「特選!米朝落語全集」には入ってません。初めからおしまいまで仕草の噺だから。それならDVDに残したらいいのにと思うが、これも入ってない。たぶん忘れてたんやろうね。米朝から直接稽古をつけてもらって現在このネタをやる噺家はたぶん私一人だけであろう。
寄合酒
☆ 「米かし桶」‥‥お米を人に貸す桶ではない。最近、米をとぐことを「かす」と言うのをとんと聞かなくなった。要するに、お米を洗うための桶。

☆ 「乾物屋(カンブツヤ)・雑穀屋(ザコクヤ)」‥‥スーパーでなんでも買うようになって、こういう商売が分からなくなってきた。乾物屋は乾燥した食品(上方では干瓢、湯葉、高野豆腐、椎茸など)、雑穀屋は米・麦以外の穀物を売っていた。ちなみに米朝夫人(小米朝の母上)は大阪天満の乾物問屋のお嬢さんでぇ〜す。

☆ 「カンテキ」‥‥七輪のこと。炭火のコンロ。我が家にも一つあるが、これはお年玉付年賀状のふるさと小包が当たってもらったもの。差出人は仁鶴師匠。その前に当たった時は文紅師匠。先輩に感謝!

☆ 「空消し(カラケシ)」‥‥よく燃えた薪や炭を火消し壺に入れて、途中で火を消したもの。火付きがよいのでカンテキで火を起こす時に上に乗せて使った。

☆ 「味噌をする」‥‥昔の味噌は、豆がまだ半分ほど豆の形で残っていたので、すり鉢へ入れてレンゲ(すりこ木)ですりつぶしてから味噌汁に使った。

行き倒れ名人
☆ 「左甚五郎」‥‥言わずと知れた大工、彫物師の名人。1594生〜1651没と載っている辞書もある。実在ではなく伝説上の人物と決めつけている百科事典もある。日本各地にある甚五郎作と呼ばれる物すべてが本当に甚五郎の作品であるとすると、甚五郎は300年も生きていたことになる。あり得ない。もうそんなことはどうでもよろしい。とにかく大工のスーパースターなのだ。

☆ 「松尾芭蕉」‥‥こちらは実在の人物であることは間違いない。1644生〜1694没。江戸初期の俳人。現在でも俳句と言えば芭蕉というくらい有名である。全国を行脚し、「おくのほそ道」は代表作。

☆ 「徳川光圀(水戸黄門)」‥‥1628生〜1700没。江戸前期の御三家の大名、天下の副将軍である。「大日本史」編纂のため助さん格さん(通称)が全国を回って史書を集めたところから、黄門さんも全国を旅して歩いた伝説が生まれたと思われる。黄門とは中納言の唐名。こうして見ると甚五郎が一番年上ということになる。3人とも伝説とはいえ全国を旅して回っている。きっと何処かで出会っていることでしょう。

悋気の独楽
★ 「悋気(リンキ)」‥‥やきもちのこと。悋気をやくとは言わず、悋気すると言う。

★ 「熊野牛王(クマノゴオウ)」‥‥熊野三社で配布した厄難除けの護符。半紙大の紙面に烏の絵を図案化してある。この紙の裏に起請文を記し、遊女と客の間の起請誓紙に利用された。

ろくろ首
☆ 「ろくろ首」‥‥しゃべり言葉では「ろくろっ首」になる。ご存じ首が伸びる化け物である。しかも女性で別嬪と相場が決まっている。本当に会ってみたいお化けとしてはのっぺらぼうとろくろ首が双璧であろう。私の個人的趣味ではあるが…。誰かの小説にろくろ首を絞首刑にするという話があったそうだ。当然、首が伸びてどうしても死なない。初めから生きてないとも思うが…。抜け首というのがあって、これは首が伸び切って完全に体から離れてしまう。離れている間に元の体の方を隠すと、戻る場所がないので次第に弱って死んでしまうそうだ。…やっぱり死ぬんですな。

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